この連載では、モーニングピッチで取り上げたテーマと登壇したスタートアップを紹介し、日本のイノベーションに資する情報を発信していきます。
政府は経済安全保障や持続的成長の要となる17の戦略分野を定め、重点的に投資する方針を掲げています。この動きを踏まえ、2026年のモーニングピッチでは「日本成長戦略シリーズ」と題し、特集を組んでいます。今回は6月25日に開催した「量子特集」です。

2035年における世界の量子市場の潜在価値は、約400兆円に達すると試算されています。この数字は、決して遠い未来の夢物語ではありません。米国が20億ドル、フランスが15.5億ユーロといった巨額投資を矢継ぎ早に決定していることからも、その社会実装は急速に現実味を帯びています。
日本では17分野での単なる独立した一分野ではなく、AI・半導体、デジタル・サイバーセキュリティ、航空・宇宙といった各最先端領域との結節点として位置づけられています。政府による予算措置も年々拡大し、令和7年度の補正予算は前年比で倍以上となる1300億円規模にのぼっています。
ビジネスサイドの動きに目を向けると、その加速ぶりはさらに顕著です。北米における量子分野への投資額は、2024年から25年にかけて約6倍という驚異的な伸びを記録しました。実際に、IPOやM&Aを達成するスタートアップ企業も次々と登場しています。投資家目線では、すでにイグジットが明確に見えている分野で、M&Aを組み込んだ積極的なスタートアップ創出戦略が極めて重要な段階に達しています。

日本は、量子分野の特許出願数で米国に次ぎ、研究開発の面で世界をリードし続けてきました。量子物理学の基礎理論の構築から100年の節目となった2025年は「量子産業化元年」と定められ、産業化に向けた大規模な官民投資が進められています。国内の民間企業による直接投資は限定的ではあるものの、スタートアップと大企業による協業ケースは確実に増加しています。
このように量子分野がにわかに活況を呈しているのは、今まさに技術の転換点を迎えているからです。その理由は大きく二つあります。第一に、ハードウェアの飛躍的な進化です。「Morning Pitch」の量子特集も、2024年、25年に続き、今回で3回目の開催を迎えましたが、第1回目の開催からのわずか2年間で、量子コンピューターの性能は実質的に約10倍向上しています。第二に、アルゴリズムのブレークスルーにより、量子計算の恩恵を得られる実用化の閾値が大幅に下がったことです。これにより、産業利用が始まる時期が当初の予測から大幅に前倒しされています。
ここで、そもそも「量子計算」とは何なのか、その仕組みについて触れておきます。量子計算とは、量子が持つ2つのユニークな物理的性質を利用して、計算の確率を巧みに操作する新しいアプローチです。 1つ目の性質は「重ね合わせ」です。よく「1」と「0」が同時に存在する状態と説明されますが、直感的には「1になる確率が〇%、0になる確率が〇%」という確率の状態を指します。回転しているコインや、投げられたサイコロをイメージすると分かりやすいでしょう。 2つ目の性質は「量子もつれ」です。これは複数の量子が、目に見えない糸でつながっているかのように、強い相関関係を指します。片方の糸を引けば、もう片方も連動して動くようなイメージです。
この2つの性質を計算に使うというのは、例えるなら「サイコロのイカサマ」をするようなものです。サイコロの丁半勝負では、2つの頂点を短く細い糸で結ぶことで、狙った丁ばかりを出やすくする手法があります。量子計算では、これと似たことを数学的に行い、求める最適解が出やすくなるようにサイコロを加工します。「どの条件であれば、どの頂点同士を糸で結びつけるか」を設計するのが「量子アルゴリズム」です。そして、その加工されたサイコロを実際に何度も振り、最も高い確率で現れた最良の答えを導き出すプロセスが「量子計算」に当たります。
これを実際の開発要素に置き換えると、サイコロ本体が「ハードウェア(光量子、中性原子、イオンなどの量子ビット)」であり、糸の結び方が「ソフトウェア(アルゴリズム)」、これを実行に移すためのツールが「プラットフォーム」です。量子コンピューターの実用化には、ハード、ソフト、プラットフォームの三位一体の開発が欠かせません。

また、ハードの基礎となる量子ビットにはいくつかの方式があり、それぞれ一長一短があります。例えば中性原子方式は、エラーが発生してもシステム全体を止めずに機能し続ける「誤り訂正」に優れており、一方で光量子方式は動作速度が圧倒的に速いという特徴があります。現時点ではどの方式が最終的な覇者となるかは決まっておらず、世界中でデファクトスタンダード争いが繰り広げられています。

「やはり量子は難しく、自社との連携イメージが湧きにくい」と感じる方も多いかもしれません。しかし、Morning Pitchに過去登壇したスタートアップは、すでに大企業や自治体、金融機関との共同開発や実証実験、業務提携を次々と形にしています。例えばLQUAM(ルクオム)は、大手電機メーカーと提携し、次世代のセキュアな通信基盤である「量子インターネット」の実現に向け、長距離量子鍵配送および量子中継技術の共同研究を進めています。Quemix(キューミックス)は大手自動車メーカーと共同で、車両の周囲に流れる空気抵抗や揚力をコンピューター上で予測する「車両空力シミュレーション」に量子技術を適用する実証を行っています。

本日は、この量子コンピューティングの未来を切り拓く、ハードウェアおよびソフトウェア領域の注目スタートアップ5社を紹介します。

OptQC(オプトキューシー、東京都豊島区)は東京大学・古澤明教授の研究室で25年以上にわたり開発が行われている光量子技術の基礎技術を活用しています。光の波としての性質を高度に制御する技術は、大規模な冷却装置を必要とせず、常温・常圧で動作する点が最大の強みです。極めて高い拡張性と超高速の計算能力を両立させ、2026年度中の商用サービス開始を目指しています。創薬、新材料開発、物流・ネットワークの最適化といった問題を解決するため、クラウド経由でのサービス提供などを進めています。
Yaqumo(ヤクモ、東京都千代田区) は誤り訂正の実証に成功していることで注目を集める「中性原子方式」を採用し、次世代量子コンピューターのハードウェアからソフトウェアまでを一貫して研究開発しています。多数の量子ビットを高密度に2次元・3次元で配置できる高い拡張性を強みとし、産業界や研究機関と連携した次世代計算基盤の構築に挑んでいます。すでに国内外の有力な量子特化VCから資金を調達しており、今後はグローバルな大学・研究機関との共同研究や、企業との技術実証をさらに加速させます。
大阪大発のキュエル(東京都八王子市) 量子コンピューターの頭脳を制御するために不可欠な制御装置の開発を手がけています。超高精度の同期技術や位相の安定性を強みに、競合のグローバルメーカーを凌駕する「1000量子ビットクラス」の大規模量子システムへの納入実績を誇ります。今後は、世界中の企業や研究機関に向けてハードウェアを販売するとともに、それらを精密に操作するためのソフトウェアをパッケージで提供。ビット数のさらなる増加に対応する次世代機の開発を進めていきます。
Blocq, Inc.(ブロッキュー、東京都渋谷区) 世界最高峰の量子科学者たちが集結し、量子コンピューターの実用化時期を大幅に前倒しするための「ミドルウェア・ソフトウェア」を開発しています。特にデジタル計算の領域に特化し、実行するアプリケーションに応じて誤り訂正を最適化することで、実用に必要な物理量子ビットの数を劇的に削減する技術を確立しました。ハードウェアの巨大化・完成をただ待つのではなく、ソフトウェアの力で実用的な価値をいち早く引き出し、金融や高度データ処理分野における早期の価値創出を目指します。
JIJ(ジェイアイジェイ、東京都港区) は量子技術と「数理最適化」を組み合わせ、インフラや産業界が抱える極めて複雑な計画・意思決定の課題を解決しています。クラウドプラットフォーム「JijZept」は、専門的な量子知識を持たない非専門家でも、手軽に数理最適化モデルの構築から運用までを内製化できる点が特徴です。すでに欧州市場への展開を進めており、今後はプロダクトの磨き込みを進めながら、顧客の個別の事業課題に応じた包括的な最適化ソリューションを提供していきます。
量子技術は最初から世界市場を前提とする必要があり、日本国内にこだわってばかりいては投資の回収も産業の持続的な成長も望めません。日本は欧米諸国だけではなくシンガポール、インド、オーストラリアとも量子分野における多角的な提携を推進しています。特許大国である日本の強みを活かし、スタートアップ自らが海外に積極的に飛び込み、現地の研究機関や大企業、投資家との連携を主導的に進めていくことこそが、日本の量子産業全体のプレゼンス向上と、エコシステムの循環を促す鍵となります。
▼テーマリーダーProfile
デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社
SU事業部
グローバルインキュベーションユニット
佐藤 洋介
東京大学で博士号(工学)を取得
量子に関する基礎実験物理学
フランスで約1年半のポスドク、東京大学で約1年半の助教を経験
『極低温における半導体―超伝導体接合や量子ホールの電子輸送』
≒トポロジカル量子計算に関する基礎実験
修士時代には中性原子・レーザーの実験も経験
~イノベーショントレンドを定期的にキャッチアップされたい方へ~
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